高齢者の事故をエンジニア視点で考える
高齢者の自動車事故がこのところニュースを騒がせていますね。
エンジニアとして社会人になった皆さんは、このニュースを聞いて何を感じ、何を考えたでしょうか。
小さなお子さんが犠牲になったり、とてもやりきれないニュースの中で、感情論が支配的になってしまいがちですが、感情に左右されず論理思考が得意なリケダンリケジョにとって、最も効力を発揮しなければならない時だと思います。
『1個良くすると5個悪くなる』
私はエンジニアの経験の中で、一つを変えると、それと一緒に何かが悪くなる、もしくは今まで見えなかった悪い所が浮彫りになってくる、と言う経験を何度もしてきました。ですので、設計変更をする時には『1個良くすると5個悪くなる』と言う言葉を標語のようにつぶやきます。
『高齢なのに運転するから事故が起こる』でいいのか
一連の事故を『高齢なのに運転するから事故が起こる』というわかりやすい因果で片付けず、エンジニア視点で(難しくならない程度に)掘り下げたいと思います。
何故高齢者は運転するのか
運転しなければ損をするから
高齢者と言えども働いている方は沢山いるわけで、自動車という、影響の大きなツールを手放す事はナカナカ難しいですよね。免許を返納したら『自動車がある事で得られた利益』を手放すわけです。余裕のある人は是非返納してほしいですが、そうではない人には、代わりに『社会保障で補填する』というような仕組みがなければ、返納も進まないと思います。
『高齢なのに運転するから事故が起こる』→『免許返納すれば事故は起こらない』
というわかりやすい因果だけでは解決しないでしょうね。
運転しやすくなったから
技術の進歩で運転が楽になりました。手でトランスミッションを切り替えていた時代は、運転が出来なくなるのが早かった。能力の衰えが限界を近づけていたんですね。だから高齢者の事故も少なかったと言えるかもしれません。
これはもしかすると『1個良くすると5個悪くなる』のひとつかもしれません。
例えば、PCからスマホに代わる事で、世の中は劇的に便利になりましたが、一方で、ながらスマホの事故が増えました。それで世界中に「歩きスマホをするな」という標識や警告灯が増えています。これは同じような問題です。高齢者の事故は、決して『高齢者だから』という原因だけでフタをして良い問題ではないと思います。
電気自動車と従来の自動車の根本的な違い。
手動のマニュアルトランスミッション(MT)からオートマティックトランスミッション(ATオートマ)になり、電気自動車へ移行する流れは止まりません。電気自動車の方が(都合が)良いからですね、
エンジニアの皆さんには、
『1個良く【なる】と5個悪くなる』ではなく、
『1個良く【する】と5個悪くなる』と考えて欲しいですね。
テクノロジーにおいて、良くするのはエンジニアです。当事者意識をもって考えて欲しいなと願っています。
では、モーターはエンジンと比べて何が変ったのでしょうか。
エンジンからモーターに代わると世の中良くなる?悪くなる?
電気自動車によって世の中は良い方向へ変るだろうと思います。でも、悪い事も起きますね。それでは、原因の要素を探してみましょう。
スタートダッシュは モーターの方が速い?
電気自動車の技術はものすごいスピードで進化しています。しかし、まだエンジンの方が優れている点も多いです。『スタートダッシュは モーターの方が速い』というのは正しくもあり、誤りでもあります。
スタートダッシュを競うドラッグレースなどでは、まだまだ、エンジン車の方が速いです。ただし、トップスピードまで加速する人間の技術でいうとモーターの方が簡単なんです。便利になって、やる事が減ったんですね。もう少し噛み砕いて言うと、
『トップスピードまで加速する為に必要な能力は、モーターを使えば、レーサーと素人の差がほとんどなくなる』必要な作業は『スイッチオン』だけですからね。パワーを路面に効率よく伝えるテクニックは全て電子制御です。
それで、少しの操作ミスで甚大な被害を起こしやすいとも言えるかもしれません。
モーターはまわり続ける必要がない
これは少しわかりづらいでしょうか? 逆に、エンジンの話をしましょう。エンジンはまわりつづける必要があるんですね、なぜなら、まわり続けるために、自分の力(惰性)を利用しているからなんです。自転車を考えた方が解りやすいですね、自転車は漕ぎ出しはペダルが重たいですが、しばらく漕ぐと勢いが付いて、楽に漕げます。勢いが次のペダルを漕ぐのを手伝っているからです。自転車は人間の力で漕ぎ出して、人間の力で加速しますが、自動車はとても重たいので、人間の力ではなく『セルモーター』の力を使って漕ぎ出します。キーを回すとウインウインいうやつですね。一度エンジンがかかれば、後はモーターの力を借りなくても大丈夫。
ウインウイン→ドルルン セルモーターが漕ぎ出して、エンジンが勢いづいた音です。
これが高齢者や電気自動車の事故にどう関係があるかと言いますと、エンジンは、いかにもこれから走り出しそうなんですよね、ドコドコ動いてるから、ブレーキ踏んでおかないと動き出してしまいそうって思います。電気自動車は車が動かないときはモーターも動きません。省エネ視点でいうと、物凄く効率的なんですが、スイッチ一つで急加速できる状態だとは思いにくいですね。
音が小さい
音が小さいのは皆さんもよくご存知だと思います。電気自動車の方がエンジンより静かです。
エンジンの中でガソリンを大爆発させて、そのエネルギーでピストンを回して、それをタイヤまで伝えています。技術の進歩によって随分と音は静かになったんですけれど大爆発の連続なのでどうしてもうるさいわけですね。
この『うるささ』っていうのが人間にとっては非常に重要な要素でして、昔から人間は低周波を恐れるという性質があります。自然災害が起こるときには、低周波が発生するからだと言われてます。大きいものが動く時には、大きくて低い周波数の波動が発生します。例えば地震の時もそうですね、地球が揺れるのですから大変です。あとは、雷ゴロゴロも怖いですね、低くて大きな音だから怖い、と言うよりも、雷が低くて大きな音だから、人間が低くて大きな音を怖がるようになったんですけどね。エンジンはどうでしょうか。エンジン内の大爆発は周波数が低くて大きい音を連続で発生させます。雷みたいに怖いですよね。人間は本能的にエンジンの音が怖いのです。
エンジンは怖いので気を付けて取り扱います。対してモーターは静かで怖い音を出しません。この点は重要な要素ではないでしょうか。
このようにエンジンとモーターは回るものとしては同じカテゴリーなんですけれども根本的に違うものだということを理解して使用する必要があります。でもエンジニアだったりモーターを使って小さい頃から遊んだことがあるという人には分かりやすいと思うんですけれども、これまであんまり慣れ親しんでこなかった人にとっては、エンジンとモーターに違いがあるという意識すらないと思うんです。どっちも車は車ですからね。
歴史が浅い
電気自動車は世の中に出てきたばっかりですので歴史が浅いってことは皆さんもご存知だと思うんですけれども、何の歴史が一番影響しているのかというと、僕の考察としてはモータースポーツの歴史が浅いからだと思うんですね。
モータースポーツは極限まで高めあってギリギリの勝負をするわけです。命を懸けて限界走行を試した歴史は圧倒的に電気自動車の方が少ないです。電気自動車のレースって、あんまり盛んじゃないんですよね、何故かって言うと、やっぱり音が小さいので迫力がなくて、無機質な感じがするからでしょうか? 大きくて低い怖い音は、畏怖の念も生んでいるのかもしれません。迫力=凄いもの、あらがえない物、という印象をいだかせるのかもしれませんね。
レースは、それこそ死亡事故が起きてしまうほど、限界ギリギリを攻めています。だからこそ試行錯誤して毎年レギュレーションを変更したり、技術の進歩に合わせて細かくルールを改正したりしています。最高峰 F 1カーなどの技術が、一般的な自動車に反映されているので、私たちはその恩恵を受けて 安全に車に乗れているわけです。対して電気自動車はその経験が少ないので、どのような問題が潜んでいるか、洗い出すのは個々のメーカー任せになってしまいます。
エンジンの弱点が実は安全も担保していた
モーターはエンジンの弱点を克服して繁栄し始めました。
エンジニアはどんどん良くしていくことを考えますので、エンジンの弱点をモーターによって克服して、どんどん良くしてきました。けれども、実はその悪いと思っていたところが、いい面でもあったのかもしれません。操るのが難しいものだった、怖い危険なものだと認識できたから、事故を抑制したのかもしれません。もちろん、その対策はできる限りされてきたはずです。しかし、逆に言うとできる分しかされていないとも言えます。経験に基づいて実験を繰り返してやって行くしかないのですが、歴史が浅いのでどうしても抜け落ちてしまう場合もあります。
エンジニアの仕事
エンジニアの仕事はユーザーが快適に運転するにはどうしたら良いかを考える事なんですが、何かが変化する時には、気がつかない何かも一緒に変化してしまっている、良いもの持ってくると、悪いことも起きるかもしれないということをしっかり認識して、すべてを網羅する視点が必要だと思います。視点というより、気構えや、プライドなのかもしれません。完璧は不可能ですからね、どれだけ完璧に近づけるかは、業務の責任を越えたところにまで影響しそうです。責任はエンジニアよりマネージャーができるだけ背負って欲しいですね。エンジニアはその期待に応えるプライドを持ちましょう。
具体的なアプローチ
では具体的にはどういったアプローチをすれば危険が減るのでしょうか。難しいですが、考えてみましょう。
電気自動車になったことで見えてきた悪い所に焦点を当てましょう
大きな音
静かすぎるのでわざと音を付けてある車はありますね、でも、歩行者に対する警告音です。もしかしたら、ドライバーにも大きな音を聞かせたほうがいいかもしれません。できればみんなが怖がる、低くて大きな音がいいですね。
高齢者モード
まずは、自動車の機能のを根本的に見直してみましょう。
- ハンドル、アクセル、ブレーキはバイクと同じにしてしまう。
というのは意外と効果が高いかもしれません。
今の原付バイクは急加速しないですからね、昔はウイリーした原付バイクをハンドルだけ持ったライダーが走って追っかけているのをたまに見かけましたが、最近はとんと見かけません。高齢者がバイクで急加速で壁に激突したってニュースはあまり見かけませんね。単に被害が少なかったり、バイクに乗っている高齢者の絶対数が少ないからでしょうか? そうであれば効果は薄いのかな?
- アクセルとブレーキの概念を捨てる
アクセルとブレーキって、効果が正反対なのに、同じ足で、同じ動作をするんですよね、しかも隣り合っている。
これってUI(ユーザーインタフェース)的にNGじゃないですかね?
見えないところにあるから、色で分けるわけにもいきませんし、すごく良くない。
足で踏むのはブレーキだけにして、アクセルはバイクのようにグリップにすると間違いはかなり減るのではないでしょうか?
- 高齢者モード
高齢者モードをすべての車種に共通化させるというのはどうでしょうか。
高齢者が運転する時には、
- ?キロ以上は出せない
- アクセルを急に踏んでもゆっくりしか発進しない
- アクセルを離すと自動でブレーキがかかるのでアクセルを踏み続けなければ前に進まない
- アクセルだけではなくアクセルと同時に別の動作をしないと動かない
(何か面倒くさい事、たとえば、アクセル+小指を立てていなければ動かないとか)
ただしこういうモードを使うと他のドライバーに迷惑がかかってしまう可能性があるので受け入れにくいかもしれません。ですが、社会全体が事故を防ぐために不便を受け入れる時代に来ているのではないか、と私は思います。
いっそのこと格好の悪い紫色のパトランプを光らせながら走るっていうのもいいかもしれませんね。
高齢者の方に車に乗らない言い訳をあげるんです。
「若い者にはまだまだ負けん!」という意識の高い人には、免許返納は受け入れにくいと思うんです。
でも、
「まだ負けんけど、あの格好の悪いランプをつけるぐらいなら乗りたくない」
こんなアプローチの仕方もアリかもです。
考察の方向
いかがだったでしょうか対策に関しては、実験をした結果これがいいというものではなく、一般的な常識の中から考えたものですので良い案と思えない方も多いと思いますが、考察の方向性としては間違っていないと思います。
深刻な問題なのに、表現が悪いというご非難もあるかもしれません。ごもっともです。しかし、そのような考え方は思考の柔軟性を奪います。より良いアイディアが生まれる時にはストレスやプレッシャーはない方がよいですよ、それに、バカバカしいアイディアも含めて、できるだけ広範囲のアイディアを並べた方がよいです。感情にとらわれず、目的を達することを優先させましょう。
- 何が変わったのか
- 変わることによってどういう要素が追加削除されたのか
- 要素が消えた結果現れるものはないか
- 要素の、個別、組み合わせによるユーザーの使用方法を予測する
- まんべんなく効果的な危険回避機能を考える。
- それでも予期せぬことが起こる!
結論は『にんげんだもの』
予測できないことは必ず起こるので、早く対処できる仕組みを仕込んでおくことも大事ですね。
車のような社会的に重要なツールは、エンジニアだけでは対応できない範囲も広いです。
しかし、それを言い訳にせず、できるだけ広い範囲の知識を身につけて、エンジニア+アルファの発想ができるように頑張りましょう!