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リケダンリケジョが陥りがちな罠1/3 論理思考の限界

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|||論理思考の限界

日本語に比べ、英語は、その単純な構造から論理思考に向いていると言われています。

英語は文章の構造がとてもシンプルに作られています。

英語の文章は、さながらプログラムのようです。

 

CPUのプログラムが、なぜ英語スタンダードで発展してきたのかは、リケダンリケジョにとっては容易に想像が付くところでしょう。過去には日本語ベースのプログラム言語を作ろうと言うプロジェクトもありました。しかし、大成功を治めたという話は聞こえてきません。

 

プログラムは条件式と処理の羅列です。

AならばB、CならばD と言うように、はっきりくっきり誤解の無いように書く必要があり、できるだけシンプルにしていくことが求められます。

そして、シンプルを追及されたプログラムからは、美しさすら感じます。

 

リケダンリケジョは、シンプルで合理的な美しいプログラムに価値を見出し、誇りを持っています。

 

|||実生活や仕事をプログラム化していくリケダンリケジョ

リケダンリケジョは、美しいプログラムに誇りを感じ、論理思考能力を実生活や仕事に

 

応用し、活かしています。

例えば、悩み事を解決するときにも、カテゴリ分けや条件分岐などをフル活用し、合理的に分析し、解決の糸口を見つけることができます。

 

――そして、ココに第一の罠が潜んでいます。

 

自分の生活をシンプルで合理的にレビジョンアップしていった結果、自分以外の他者にもこのプログラムをインストールしようとするのです。

 

シンプルで、合理的な人間関係を相手に求めてしまいます。

 

|||論理思考が邪魔をしていることもある

悩みを解決するのに、論理思考は大いに役立ちますが、万能ではありません。
さらにいうと、論理思考が役に立つのは、悩み解決の周辺部分であり、コアの部分では、逆に邪魔になってしまうことが多いのです。

 

論理思考に誇りを持つリケダンリケジョは、それを認められません。論理思考最上という『思想』から抜けられないと、悩みのコアを解読できないのです。

 

では、コアというのは何でしょうか。

それは人の心です。人の心が世の中のいろいろなことを決めています。

 

人工知能が注目を集め、心、感情、感覚を機械化する動きが加速を見せていますので、人の心に注目しているリケダンリケジョも増えてきたことでしょう。

もしかしたら、その答えをプログラム化してしまった人もいるかもしれません。

 

しかし、まだ一般的ではありません。

 

人間は合理的ではありません。だからこそ、一見、無駄に見えるところにほど、大切な要素が詰まっています。

 

|||リケダンリケジョに悩み事を相談した結果

相手が悩み事を相談してきたときに、あなたは合理的なアドバイスをすることができます。

 

「問題は明らかで、解決方法もこれしかないんだから、やればいいじゃん! 他に選択肢は無いよ」

 

と言っても、相手はそれをしようとはしません。イライラしますね笑

 

でも、本当の問題は、問題を解決することではなく、不安や憤りを聞いて欲しかっただけで、解決することは毛頭考えていないということだったりします。

 

その場合、あなたは消化不良だし、相手は相談しなければ良かった……なんて結果に終わってしまいます。

 

|||論理思考だけでは対処できない魑魅魍魎

解決するには何かを変える必要があったり、自分から行動をしなければなりません。

しかし、それをしたくない。

その理由は『したくないから』だったりします。

 

なぜしたくないのか、それはコアの部分に関わってきます。

『したくない』のではなく、『してはいけない』から

 

なぜ、してはいけないのか……それは、人によって違いがありますが、およそ合理的とは程遠い、心の鍵がかかっているからです。

 

合理的な論理思考だけでは、この鍵に触ることさえできません。

もし、その鍵と扉を開けることができたとしても、その中には論理思考だけでは対処できない魑魅魍魎がうようよしています。

 

魑魅魍魎を理解することができたら、心を論理的に説明できるようになるでしょう。

 

心理学はその分野の学問です。応用した学術も多くあります。

でも、なかなか隅から隅までというわけにはいかないようです。

 

まずは、論理思考最上主義を捨てて、論理思考だけでは解決できないことがあると自覚してください。

 

誰かの相談に乗るときには、全てに白黒をつけるのではなく、全てを1と0で判断するのではなく、

 

「そういうこともあるよね」

 

という言葉を使えるようになりましょう。